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年の瀬になりました。



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2014年平成26年

Wishing you the many joys of Christmas !

~楽しいクリスマスをお迎えください。~


☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~~・,。★。,・~~・,。☆。,・~





早いものでもう年末。年賀状も気になりますがそれはまだ
お預けなワタシです。用事は早く片づけたいものです(グス)。


今年のメッセージは、ブルー一色にまとめました。
それはやはり、先日の日本人の学者さんのノーベル物理賞受賞に
あやかって感謝を表現したものです。


今年もいろいろありました。
悲しいこと、楽しいこと。
苦しかったこと、くやしかったこと。
嬉しかったこと、ハッピーになれたこと。
そしてやはりこうして今無事に健康でいられたこと。

年をとるにつれ、病気の心配や症状の様子が気になるものです。
もうあと、何年生きられるかわかりません(なんちゃって)。
10年後のワタシは、地球に残っているのかな。
その頃は2本の足で歩いていられるだろうか。
そして胃や腸は食べ物を分解できるのだろうか。
さらに、家族はどうなるんだろう。
子供は結婚して孫に逢えるかしら。

その時代に自治団体、市や県や国家はどんな姿に変化するだろう。
毎日放送局から勝手に配給される計画や政策のニュースに
漬けられながら、その情報量にめげて、大人しくなって
しまった、ワタシ達一般市民のリスクや税金はどのように
反映されてゆくのだろう。・・・

考えるばかりでは先にすすまないので、勇気を出して明日から
また一歩一歩、歩まなければなりません。
体力と時間の勝負ですがとりあえず、今年もこのブログを
読んでくださった皆様にお礼を申し上げます。








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12月です。

   

   ゜・*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。..。:*・:*・゜゜・*・゜゜・*・

   2013年平成25年 
   Wishing you a wonderful Christmas!
    
~すてきなクリスマスを迎えられますように!~

   ゜・*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。..。:*・:*・゜゜・*・゜゜・*・

今年ももう年の瀬にさしかかりました。

これからは年末の用意が増える忙しい時期に

なります。今年は良い思い出がたくさんできたかな。

そして、このブログを続けてきたワタシは

多くの芸術作品や映画、音楽に出あえたことを

嬉しく思います。自分の人生や生活が思うように

運ばない時、ストレスでダメになってしまいそうな

時も、お気に入りの歌を歌ったり、映画や絵画作品から

元気になれるヒントをもらえたり、でした。

最近では昔('60年代など)の邦画、洋画も焼き直しで

鑑賞できるようになり、当時のストーリーの哲学や

俳優陣のまっすぐでカッコイイ生き方もとてもお手本に

なります。ご先祖様の代には上手だった日本語遣いも

気がつかないうちにずいぶんだらしなく変化した社会に

なってしまい、これではもう社会は個人を支えられない

でしょう。よく親から「人に迷惑をかける大人にはなるな」

とか「人に笑われないように心がけること」とか言われてきた

のに、このままではあんまり日本の文化史が台無しです。

それでも、今年も『新語・流行語大賞』が発表されて騒がれて

いますね。いい意味でも反省する意味でもチェックしてしまい

ました。

とかく人間は、一人では生きてはいけない生き物ですから、

相手を尊重して、長く続く穏やかな愛情にたどりつきたい

ものです。風邪や体調の不調もなんとか治しながら

残り少ない今年を悔いなく過ごしたいですね。

   







PIZZICATO FIVE “私の人生、人生の夏”

   

ピチカート・ファイヴ /“私の人生、人生の夏”


★歌詞

梅雨が明けました。

今年も夏がやってきました。そして私も1つ年をとりました。

今日は、この前ワタシがみた不思議なについてお話します。

ワタシもこうしてひとつ年を取ったのですが、すでに父も母も他界してしまい

今年はやや不安な思いでした。それはその不安がよく反映された『夢』でした。

ややしっかりしたストーリーだったのでまだよく覚えています。

それは・・・

ワタシが一人、黒いドレスを着て座っていると、両脇から母の2人の姉(つまり叔母さん)

に支えられ「あれっ?今日ワタシは死ぬのかな?」と気づくと「そうよ、」と言われ

そして目の前にミュータントのようにほっそりスタイルのいい宇宙服タイプの銀色のスーツ

を着た、青い目の白人に「今日から一緒になるんだよ、」と告げられあれっとカレを

よく見ると俳優の渡辺謙さんにも似ているのですがジュード・ロウ様にもより似ている!

そして白い空間を歩いてX線ゲートをくぐると、ワタシの両脚がプリクラ効果のように

しゅるっと細くなり輸出用?に変身している、というモノ。「ロンドンに行けるのかな?」

というと「そうだよ、」と教えてくれました。あんな遠い憧れの国に死後?ひょっとして

来世は届くかもしんない!!(~_~;)

・・・というカンジでした。

つい先日、統一教会婚なさった桜田淳子さんをサイト記事で見かけたのですが

アジア圏だけでなく、もっと自由に国際結婚できるようになるのかも。

そうしたら、今まで海外で頑張って道をつくってきた日本の美女様たちに

たくさん感謝しなくてはいけませんね、まあアイデアですけどね。

今後の人生が長い人は、洒落にならないからマジメにいい結婚をオススメします。

 Thank you! (^_^)/





   

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

ワタシの貧乏顚末記

      
 

2001年、1月にワタシは離婚してここ横浜に舞い戻ってきました。

古いアパートで、バツイチの生活がスタートしました。

子供が小さかったので、毎日心配で、社会復帰できるように

健康が回復したのはその年の秋くらいからでした。

引っ越してきた日は、めずらしくここ横浜に前夜の雪が残っていて、

トラックの運送業者さんは、重いタンスや衣装箱を運び入れて

面倒くさそうにさっさと引き上げていきました。

それから2週間くらいは荷物はダンボールの中に荷詰めされたままでした。

気がついたらコタツで寝泊りして、お風呂もしばらく入らないボーッとした

ショック状態から始まったのでした。

社会に出て再び働くようになってから、今までの主婦業とは180度違う

世界に慣れない日々から始まりました。サービス業の派遣社員となると、

毎日違うお客さんに頭を下げてモノを買ってもらわなくてはなりません。

自信をもって商品を説明し、セールスし、案内しなければなりません。

派遣社員といっても、1年契約くらいが関の山です。次々と新しい

若い優秀な人が入ってくるからです。こんな目まぐるしいスピード社会

が独身時代のように再びまた始まったのでした。

それでも、毎日インスタント食品1品しかありつけなかったのが、

友人と週末のアフターファイブができるようになったり、

少しづつ、30代後半らしい華やかな生活に戻りました。

部屋の中も、絨毯を新たにひいてインテリアを少しづつ揃えること

ができました。実際、夏は「扇風機」を2台壊れるまで酷使し、

冬は簡単な電熱器の暖房具でしのいでいたので、貯金してエアコンを

入れてもうかれこれ10年になるこの「小人の部屋」創りはやっと

人様に紹介できるようになった次第です。

(やっぱり“恋人”の部屋にもしたいですよね。)

例えば、貧血で倒れて救急車で病院に搬送されても、

とかく一人では人づきあいが難しいものになってしまいました。

一人で住んでる事情を話して、頭をさげて点滴(栄養剤)を受け

なくてはなりません。扶養控除の範囲で保険証がもらえていた頃

に比べれば医者や薬の問題はシビアです。

こんな生活との戦いは来る日も来る日もやってくるので、

落ち着いたひとときは大事にしたいです。今年もあと僅か。

「もう、いくつ寝るとお正月!」ですね。


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一杯のかけそば

     

                  



ワタシが学生時代、「心身症」という精神科の病気に罹ったことが

あります。これまでの学生である自分とさようならをして、

心新たに、就職するというビジョンがまるで湧いてこないので

焦っていたのです。「これでは長年専業主婦である母の二の舞だ・・・。」

と引っ込み思案で、燻っていました。未だ子供の心のままで

大人になれないワタシを社会に送り出す、何かきっかけが

迎えにきてくれないもどかしいモラトリアム時期が続いていたのです。

人生の岐路に「答え」が見つからないという悩みは学生として初めてでした。

普段なら問題集に解答集がついている、はずでしたから。

ところで、この「一杯のかけそば」は当時、友人から聞いた言葉でした。

世評に直すと・・・

“1989年(平成元年)2月17日に行われた第114回国会の衆議院予算委員会審議において公明党の大久保直彦衆議院議員が竹下登首相に対する質疑で当時話題となっていた本作のほぼ全文を朗読・紹介して、リクルート問題に関する質問をしたため、さらにブームに拍車がかかった。”・・・という事柄がありました。

この「一杯のかけそば」のあらすじの内容は・・・

“1972年(昭和47年)の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある
「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。
閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、
店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけそば(具の一切ない、
他には汁だけの蕎麦)を1杯頂きたい(3人で1杯食べる)」と言ったが、
主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は
出された1杯(1杯半)のかけそばをおいしそうに分け合って食べた。

この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」の
かけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。

翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。
「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が
来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。
そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に
現れる。子供達は就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。”

・・・という文句なしのいい話でした。“作品の発表当時は感動話の代表作として

またたく間に日本中の話題をさらい、果ては映画化や文庫化された。”らしく

映画化された作品のなかで、舞台となる札幌の「北海亭」は、

深く積もった雪に埋もれながら経営しているというシーンでした。

最近は身の周りでも、よく若いお母さんがベビーや幼い子供さんを連れて歩いて

いますが、気がついたらできる親切は誰にもあることを覚えていたいものです。

せちがらい世の中でも、視点を変えたらちょっと自分が我慢しても

誰かの喜んでくれる「笑顔」を作ることができれば、心温まるイイお話に

変化しそうです。

思い出すと、陰になり日なたになり、あらゆる人々にお世話になっていました。

この当時人生がわからなくなった時に、無言でもワタシたちを支援し、

我慢し、励ましていてくださった諸先輩や友達に感謝します。


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神様の名刺



これは、今年の春、ワタシの父が病院でガンで亡くなるまで

闘病していた間にホントにワタシの身に降りかかった話です。

奇妙なのでナイショにしておこうと思ったのですが、

父の墓所にも届けてあげたい、と思い記すことにしました。


。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・


ある春の朝、目が覚めると、なんだか声がしました。

「ワタシこういうものですが、」その声は言いました。

渡された白い名刺には「職業:神様」とありました。

「えっ?」と驚くとその声の主はいろいろなコトを話しだしました。

まず、自分はこんな考えができるよ、と言って1つの映像を

CMのワンシーンのように見せてくれました。それは、

流れるロールで次々とシーンが現れ出す地球の毎日の営みの様子でした。

「・・・今朝も東から太陽が昇り、植物は芽を出し成長をし、

山は枯れ枝から緑の姿に変身します。町では工場は操業し始め、

鉄道は線路を延ばし電車を走らせ、ハイウェイも延びながら

様々な車を走らせます。都会には次々とビルディングが建ち始め、

街はどんどん広がっていきます。・・・」

“神様”は黒い帽子を頭の上に斜めに傾けてもちながら、

その帽子の中から「今日」という時間が生まれてくるという仕掛け

なのでした。ひとことで表現すれば「生々流転」でしょうか。

そして、「君はこんな事を知っているかな?」と言い、更に映像を

流してくれました。それは「東大生の構築する地球の未来イメージ像」

というニュアンスでした。まあ、オックスフォード卒業生でもハーバード

卒業生でも共通でしょう。それは「地球の21世紀、22世紀・・・・28世紀」

の姿のリトグラフでした。まるで昔あったエイジア、ジャーニー、UFOの

LPレコードのジャケットのようでした。空にはUFOが飛び

地上は極めつけのハイブリッドの未来都市デザインです。

“神様”によると、何枚か見せてくれたのですが、これら超エリート

卒業生はずっと使命を背負い“地球の未来社会”を考え抜き絶えず構築

しているのですが「28世紀までの地球の姿の予想はできた」人がいるらしい

のです。ワタシはとっさに“アバター社会”に関連しているのかな、と

思いました。そして、こうして「地球」を支えることに使命をもち、

役割を果たした素晴らしい卒業生のお話や絵をうかがって感動で

涙してしまいました。


。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・


それから、“神様”はチョット疲れてこんな事を言いました。

「私は最近You Tubeの観すぎで目がひどく疲れている・・・。」

なんとその次の日の朝、ワタシも結膜炎がうつり目が真っ赤になっていました。

何か取り憑かれた影響(証明)だったのでしょうか。

目やにがでるので、とっさに「目が腐っているようだ。」と思いました。

思えば、その頃父は病院のベッドでガンと最期まで闘っていたのです。

亡くなった父は晩年、白内障の手術をしていました。目がひどい近視で

乱視もあるワタシは父の遺伝だろう、と思っています。

さて、眼精疲労である“神様”はこんな映像も見せてくれました。

それは、“ナチス時代の東ベルリンの人々の戦争状態の記録”でした。

ドイツ国家の軍の内部機密で禁帯出フィルムといった所でしょうか。

モノクロの貧しいやせこけた男達は3人くらいで罵り合っています。

A「お前はばかだ。」B「お前こそばかだ。」A「なぜだ。」

A「お前なんか死んじゃえ。」B「お前こそ死んじゃえ。」A「なぜだ。」

といいながら、東ベルリン人同士で殴ったり、叩いたり、ふんずけあったり

しています。真っ暗な寒い部屋でじっとみていると戦争の恐ろしい様子が

わかります。この人たちは気違いで、もうひとでなしのろくでなしなのだと。

・・・ワタシの父の最期の闘病中に、こんなことがあったのでした。

そして7月の夏のある日、78歳で父は天に召されました。

それと、付け足しに“神様”は世界のあらゆる民族が(戦争中迫害をうけた

ユダヤ人であれ)「You Tube」を鑑賞できる文化に社会がなってしまった

ことに不満そうでした。「もう、これ以上はたくさんのものを観たくないし

こんな自由を訳隔てなく誰彼にでも観せたくない」と言いたそうでした。


。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・


明日はクリスマスですから、「ようこそサンタさん」と準備しておきたいです。

子供も大人も幸せな1日になりますように!

そしてまた、亡くなってしまった父の冥福を祈ります。


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冬といえば。

         

冬といえば、スケートやスキーの季節であります。

子供たちにその無心の楽しみがわかってもらって、伝統であるこのスポーツ

を気に入ってもらいたいです。

     ◇・◆・◇・◆

スケートはワタシの小学校の行事にありました。学校は藤沢なので

大船の野外スケートリンクを借りていました。最初は靴はレンタルで

マフラーなしで手袋と厚手のスポーツ用の靴下を親にあつらえて

もらって、2時限の授業のあいだ、学年のみんなでO型のリンクの

コースをひたすら上達するように懸命にすべる、というものです。

現在中学生や高校生に「スベル」というと、受験にさわって嫌われそう

ですが、小学生なのでおしゃべりして、ころんで明るいものです。

男の子も女の子もまとまって集団で一緒の学年行事です。

当時は授業をさぼれるというので、また新鮮なセカイに打ち込んだものでした。

     ◇・◆・◇・◆

スキーは大学に入ってから友人と入門しました。

また結婚して元ダンナに連れて行ってもらいました。

ところがワタシは苦手です。むしろわざと転びます。しゃがんで

前進することも・・・。(悲惨。涙。)初心者だから当たり前と

おもいきや、元ダンナや女の子たちはワタシを置いて「上級者コース

で滑ってくる、」といってコースを別にしてしまうのです。

(スゴイ上達の早さです!)

「ワタシは南の地方の出身だから・・・」とは思うのですがあまりに

全く上達しないので、ついにこのスポーツはなげてしまいました。

思えばワタシのまわりのこれらの面々はテニスはできるし、免許を

とれば高速道路にものれるほど車の運転もうまかったし、

そこそこ授業をサボッても試験でいい成績をとれる

スーパーマンの「クリプトン星」の出身か?というヒトビトだったのでした。

(感謝。)今日のワタシがあるのも皆様のおかげです。

今では、子育てなどに苦労されているようですが、思うようにならなくても

いつか夢はかなうと信じて大切に年齢を重ねていけたら・・・、とささやか

ながら願っています。



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西新橋のこと

            

ワタシがOLだった頃、勤務は西新橋でした。

そして霞ヶ関のそばなので、「霞ヶ関ビル」は地元の富士山みたいな

安定した大きな存在でした。ここの所調べるついでがあってホームページ

を見たら、赤トンボやメイプルリーフが舞うトップページから

入って「霞ヶ関帰宅支援テスト」がありました。

(このサイトを御覧になりたい方は下記のURLからどうぞ。)

これはなかなか考え物です。“普段から、水、非常食、毛布、

簡易トイレをデスクに備えておきましょう、 またもし災害に被災

した場合、近所の麹町小、中、都立日比谷高校、皇居前広場公園、

北の丸公園などに非難してください・・・”というのですから

豪華絢爛(失礼)、都心の一等地の格は違うネといったところです。

悩みもグレードが上ですね。(それどころじゃないか。)


詳しい説明によりますと、

・・・“霞が関ビルディング(略称:霞が関ビル)は、東京都千代田区霞が関三丁目にある地上36階、地下3階、地上高147mの超高層ビル(オフィス・商業複合施設)。所有者は三井不動産。一般に日本最初の超高層ビルとして知られている。
東京倶楽部が経営していた旧・東京倶楽部ビル跡と霞会館(旧・華族会館)の敷地に建設され、1965年(昭和40年)3月18日に起工、1967年(昭和42年)4月18日に上棟し、1968年(昭和43年)4月18日にオープンした。耐震設計として鋼材を組み上げた柔構造を採用している。”

・・・とあります。今では老朽化した建造物なのでしょうか。

 URL.→・・・http://www.kasumigaseki36.com/・・・霞が関ビルディング


ワタシもこの間パート契約先で携帯用ソフト「あんぴ(安否)くん」

なるパンフを会社側から配布されました。その雇用先は24時間体制、

365日勤務でもちろん地方出張の営業社員さんもいたわけですから

当たり前ですが新たな時代の違いを考えさせられました。

(この話題は社外秘なのでここまでにしておきます。)

         ◆◇◆◇

ところで、これからここ横浜で「APEC」のサミットがあり、

連日、緊張した状況が続いています。円高はいいのですが

逆に「ドル安」なため不安も多いです。アメリカは

現在雇用状況や他経済状況が悪化しているままだとニュース

で聞きました。これからオバマさんをお迎えするにあたって

難しい政局でもあります。(民主党の支持、人気など)

話しは戻りますが、大都会にも「帰宅困難時」の

マニュアル説明などがあり、いわゆる「ウチのお父さん

無事に帰宅させてもらえるかしら?」なんて考え方が

ノーマルになって定着しているなんてうすら寒い状況

です。


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11月になりました。





「秋深し、隣は何をする人ぞ」という言葉が
ありますが、物思いにはぴったりかもしれません。

歴史を考えたり、宗教を考えたり。・・・ネタ帳を作っているワタシは

最近、アメリカの「2012年マヤ文明の予言」、オカルト宗教

UFOとのチャネリング、コンタクトなどに入門をしています。

いつの時代にも「いじめっ子」と「いじめられっ子」はいるのですが

「いじめられっ子」はどうして自分がいじめられるのか真剣に考えて

悩むはずです。その理由は様々ですが、打ち解けて自分の悩みを

打ち明けたら少しはラクになれるのではないでしょうか。

形にするまでは時間がかかりますが、気分的に少しは

前進できるでしょう。「学んで理解できるコト」、「人にわかって

もらえるコト」・・・気分が晴れる方法を探して強くなりたいです。


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都会の想い出

 
≪フィラデルフィアの朝≫


  
≪東京国際フォーラム≫   


最近、中国、フランスパリで若者達のデモ活動

が起きたと聞きました。ワタシが学生だった最後の年

隣の国中国では「天安門事件」が起きて、その頃

旧ソ連(今のロシア)のゴルバチョフ大統領

「ペレストロイカ」を叫んでいました。他方、日本では

政府や政治の問題以前に「リクルート・コスモス事件」

が起きてしまいました。就職を控えていたので、一日も

ムダにすることができなかった当時の学生達に

「リクルート」社は神様のような存在でした。

なぜなら、働きたい意欲があればとりあえず進路は

確保されていました。(転職やアルバイトという形です。)

当時のE社長は、そんな一般民衆の願いを一身に受けられて

いたのでしょうが、事情が複雑なゆえにもはやタブーとして

もう誰も語らなくなってしまったのでしょうか。

現在、都会では都市伝説ができるほど、やはり複雑な

ジャングル構造のようで、意を決しないと踏み込めない

怖さで林立する高層ビル群が21世紀の様相を呈して

います。新たな時代の移り変わりの速さに、ワタシ達は

もう過去の話になって埋もれているようで残念です。

若い人たちに未来像はどんな夢で支えられているのか

心配です。様々な側面からフォローを続けてあげるしか

ありませんが、「お金で買えない価値」がたくさんある事

に気がつく人は幸せであると思います。

 

★☆写真-----(左)米東海岸のフィラデルフィア美術館正面図です。

          (右)映画「ロッキー」のジョギングシーンで有名になった同美術館
             にある階段です。

≪フィラデルフィア美術館ひとことメモ≫
この美術館にはマルセル・デュシャンの作品「階段を降りる裸体」(1912年)が
所蔵してあります。
ここにアップできないのが残念ですが、キュビズムの現代絵画で、階段を降りる
アンドロイドのような機械伯爵のような姿が描かれ、奇妙な思考と観念を表したものです。
これは、未来主義の影響を伴って、運動と移行する時間性を空間に表現しようとした
作品です。
また、デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に
最も影響を与えた作家の一人と言われています。“コンセプチュアル・アート・オプ・アート”
として等、モダンアート美術の先駆けとも見なされる作品を手がけました。


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暑気払い

 


この夏はホントに酷暑です。今日は35℃をいよいよ超え、


都心では37℃を記録したそうな。。。近所の警察署の


そばを通りかかったら、「今日は外出は控えてください・・・」


のアナウンスが流れました。家に帰宅するや風呂場へGO!


「水ぶろ」です。これがなかなか効くのです。まず水は冷たく感じ


ますから、慣れるまで浸かる。顔も洗顔してサッパリです。


でもって、夕方ビール。もう、夏休みならではのお楽しみコースの


ようなスタイルです。う~ん、おいしい。今、“ 糖質0 ”が流行して


大人気のようですが、ワタシは“ カロリーOFF ”タイプが好みです。


そのフレーズで「太らない、」という約束がもらえ安心できそうな気


がします(勝手なだけ?)。でも、おつまみ何が合うかな・・・。


         


夏の夜、は蚊取り線香などたきながら、うちわ片手でのびのび無心になりたいですね。

“もう、今晩は何もしないでいいよ、” とそんなお許しがいただきたいですね
  




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父の話し( 2)

           


父の通夜は酷暑のきつい8/1に執り行ないました。喪主は母です。


突然の出来事に不安定な様子のまま出席していました。


母は後期高齢者で難聴の障害者です。最近は腰が痛くて医者通いです。


その母を60歳過ぎてかかりきりで面倒をみてきた父だったので、


母の悲しみは普通ではありませんでした。食事や電話番や外出の用


はすべて父にかかっていました。駅から家までは「心臓破りの山道」


を通るのですが、いじわるな急勾配な山道の坂なのです。ただ、


登りきって振り向くと、嘘みたいに美しい海が眼下に見えます。


横浜沖から千葉の富津方面が眺められます。


           


次の日は、お葬式でした。市営の火葬場に皆さんにはマイクロバスに分乗


してもらい、私と弟と母はリムジンに乗せてもらいました。私は父の遺影の写真


を抱えていました。1時間30分ほど過ぎて父の亡骸と対面しました。


あんなに元気で普通に暮らしていた人が急にこんな姿になってしまうなんて、


とても驚きでした。普段から『エジプトの4000年の遺跡に発掘されたミイラ』


というマスコミの勝手な流布や広告が、こんな無残で家族にとって皮肉なもの


に思われるとは意外でした。まるで、(あら、今まで気がつかなかったの?)と


話しかけられるようなものです。新しい遺体の姿は衝撃的でした。


実家に戻り、これから遺品整理、掃除、そして初盆がやってきます。


「ご先祖がキュウリの馬に乗って急いでやって来て、ナスの牛でゆっくり帰る」


のですね。・・・・・これからも我が家の暑い残暑は続きます。


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父の話し

          
【白州邸武相荘-東京都町田市】


私の父は兵庫県武庫郡の生まれでした。昭和7年ですから当時は「軍国主義国家」、


「軍国教育」が吹き荒れていたのでしょうか。祖父は九州佐賀県出身です。


その後家族で上京し、都内に居を構え、早稲田文学の「早稲田青年」しました。


詩など自作の出版も手がけておりました。


それからビルマ(現在のミャンマー)に『戦後復興事業』団として日本人として


現地に渡り、資材の輸入業に携わることになったそうです。いわゆる


『戦後高度成長期時代』を支えたビジネスマンの始まりです。


その後は勉強した英語を使って外資系の銀行に就職しました。そして社内で


母と出会い結婚します。さらにそれからは外資系(インドネシアなどアジア方面)


からの輸入企業の貿易商社で働き続けます。手がけた事業は「石油」、「木材」、


「石材」です。当時、夜帰宅し家族がいるのに瓶ビールを一晩で6本飲むような


怖い人、というイメージでした。いろいろ仕事のストレスもあったのでしょう。


しかし父は運良く、会社役員の座に納まっておりました。


             


ところで、この父の話題に関連して最近気になる人物伝があります。それは「白州次郎」


の履歴、経歴です。1902年(明治35年)2月17日、兵庫県武庫郡精道村(現・芦屋市)に生まれる、


と紹介があります。出身が父と同じなのでハッとした訳です。


さらに・・・?白洲 次郎(しらす じろう、1902年(明治35年)2月17日 - 1985年(昭和60年)11月28日)


は、日本の官僚、実業家。終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力株


式会社会長などを歴任した。


戦後、吉田茂首相の側近としてGHQと渡り合い、従順ならざる唯一の日本人と言わしめた。妻は白洲正


子。つまり日本の敗戦時より、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商務省の外局とし


て新設された貿易庁の長官を務めた。(貿易庁初代長官)。 吉田政権崩壊後は、実業家として東北


力の会長を務めるなど、実業家として多くの企業の役員を歴任した。? とあります。


このように、戦後日本の高度成長期を支えた驚異のスーパーマンなのでした。


なお、トップの写真白州邸は戦争中の夫妻の疎開先の「武相荘」です。


  URL: http://www.buaiso.com/jirou.html  旧白州邸武相荘


ついでに、 URL: http://www.suntory.co.jp/whisky/hakushu/    (サントリー/白州


・・・・・こんなお酒(ウイスキー)も最近発表されましたので、参考にいかがでしょう。


           


さらに、フジテレビ開局50周年記念ドラマ『不毛地帯』(2009.10.15 - 2010.3.11放


映)についてです。作品やストーリーはすでに有名で、リメイクされたものです。


内容の?主人公の壱岐正中佐は、伊藤忠商事の元会長瀬島龍三(1911‐2007)がモデル


指摘されている。一方の主人公のライバル・東京商事の鮫島辰三は、日商岩井の元副


長海部八郎がモデルとされる?とあります。やはり貿易商社の戦後の経済成長


の長きにわたるドラマが力強く、多数の配役を抱えながら物語は進行します。


。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °


私の父も、多くの写真、アルバムを遺してこの世を去りました。父にとって


戦後の日本社会、「政治」、「経済」、「文化」がどうであったか、うかがって


おかなかったのが悔やまれますが、もう40代になった私と弟もなかなか


今までがんばりましたよ、と報告しておきます。


父の冥福を祈ります。 娘より。


        ◇・◆・◇・◆・◇・◆・◇・◆・◇・◆・◇


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お久しぶりです。

         


こんばんは。この夏は平年より酷暑のようですね。 


連日、ここ横浜でも昼間が35度を記録するなどと聞いてしまうと


ただでさえ夏の暑さが苦手なのにがっかりしてしまいます。


ところで、7月28日午後10時過ぎ、金沢区の実家の父が他界いたしました。


(七十八歳 )。同居の家族が交代で最期まで、看病してくれました。


今日は、通夜と告別式の打ち合わせでした。


今週末は、親戚に挨拶します。お忙しい中申し訳ありません。


それにしても、母の老々介護で疲れがたまって、倒れてしまって


あっという間、突然の出来事で驚きました。


           


お酒好きの父は、もう何年も前から、大腸ポリープ、高血圧、


糖尿病で通院していました。最近では白内障になり、


結局の死因は肺がんでした。最期はもう肺の機能をしていなかったそうです。


いろいろ、お礼も言いたかったのですが、これから通夜、告別式。


せっかく来ていただく親族の前でもキチンと構えておきたいので


湿っぽい思い出話はまた別の機会にします。母が高齢で、気も弱っている


のが、目下の悩みです。こんなワタシが母を支えていけるだろうか、


正直不安だらけです。


 

I'll celebrate for you !

                  


6月といえば、ジューンブライドの季節です。


ワタシが結婚を最初に意識したのが20歳の時でした。


当時つきあっていた彼に指輪をプレゼントしてもらいました。


ワタシから、リクエストしたので彼はきっと嫌々だったかも知れません。


ジュエリーだから、そこそこいい御値段ですからね。


        


最近、大学生風の若者とすれ違うにつけ、青春の「若さ」は素晴らしい


のだから二度と戻れない今を大切にしてほしい、とエールを送るように


なりました。ワタシからすれば、かれこれ20年くらい昔のハナシ


でも、若い皆さんは今を生きているのですから・・・。


          


将来が、未来が不安でもこれからのお二人の幸せを信じて、


精一杯の今を生き抜いてみませんか・・・?


モチロン、大きな努力やリスクや犠牲は覚悟しなくてはいけませんが。


以上をふまえて、お二人に幸がありますように・・・!


 


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ネコになりたい

         


ネコの一日はうらやましいだろうな。


私は以前、イヌは飼っていました。でも、躾から始まって


散歩やエサやりなど毎日とても一苦労していました。


なので、冷たい私はそのイヌが亡くなったとき、


「これで、お世話から解放される・・・。」と


ちゃっかり思ったものです。やはり、体力を奪われるもの


ですから。


         


ところで、ネコについては、未だ永遠の「憧れ」


であります。時々自分がだらしなく、いつまでも部屋でゴロゴロ


していると、「私は前世では、ネコだったかも、」


と思ったりします。ただし、「小鳥」だったかも、と思う気持ちが


強いので、ネコ説は第二の仮説のポジションです。


こんな私は、もうすでに人間界でネコよりも大切にされた、


ネコよりも幸せなイキモノ、でしょうか。


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忘れやすいモノ


それは、「日傘」です、こんなに相性の悪いモノはありません。


遠くの職場に置き忘れたり、病院にだったり、JR構内だったり


もう、悲しくなるほどきっぱり忘れてきます。


持っているのもウザイ上に、どこに置いたか徹底的に思い出してみる


なんて まさに時間のムダです。   かといって夏の日差しのせいで


少しでもシミは作りたくないほんのオンナゴコロでいたいわけでして、


今日も帰宅途中、引越し後4本目の夏用の傘を購入してしまいました。


金曜日も夜に自宅でコンタクトレンズを片方なくすし、


まったく、そそっかしい訳です。


「なんか、もう有意義におカネを使わせてよ、」といいたいです。


 


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音楽人間

         


  梅雨の季節となりました。今朝からここ横浜でもシトシト降っています。


  ところで、今回のテーマは「音楽人間」です。


          


  これは、私の部屋の一部のCD,カセットテープのコレクションです。


  まだ3分の1、くらいです。とにかく昔から音楽三昧の生活でした。


  中学時代はエアチェックの鬼。高校時代は吹奏楽部。(賛否両論ですが。)


  大学時代は軽音楽部(なんと女の子バンドのドラム担当でした。)


  こんな私は、幅広いリスニングのジャンルを極めています。


  これからは、ipodに移行できるでしょうか・・・。 


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欲しいモノはたくさんあるの。


 
昔の記憶。小学校の頃、近所には「公民館」があった。毎週ある曜日に「コーラス」の実習があった。
1階では毎月、「学研の学習と科学」を販売してくれた。併設されたモルモン協会では、日曜日友達に誘われて
ミサがあった。私は別に、学校の鼓笛隊に所属し、小太鼓を貸してもらっていた。暗譜なので真剣勝負である。
今思えばよくできたな、とうすら寒い気分だが、子供の欲求心とは計り知れない。夜になれば、ノートを開き、
マンガや日記やポエムや小説なんかも創作していた。当時からAMのニッポン放送を聴いていた。
LPレコードに針を落として、さだまさし、南こうせつ、イルカ、原田真二さんを聴いていた。
当時はフォークソングが全盛期だったかな。 あの頃のみんなは元気かな、とよく思い出す。
いわば、同期の桜なので今元気で生きてるだけで、嬉しい。出来のいい子供も多かったイメージが残っている。
つまり私が言いたいのは、「ただ」(無料)でもあんなにたくさん遊べて、とても楽しい毎日が当たり前のように
続いていたことだ。子供は、ただでも自由に時間を過ごすことができ、その手段や方法は多い。 

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